車地蔵

車地蔵堂の内には3体のお地蔵様が安置されています。

中央が1936年(昭和11年)作の車地蔵。

左は1715年(正徳5年)作、右は1665年(寛文5年)作で、いずれも江戸時代のもの。

堂の外、左側の宝篋印塔は1570年{元亀(げんき)元年}のもの。

右側面を見ると「元亀元庚午(かのえうま)年」であることが確認できます。

 

1570年と言えば、戦国時代で、姉川の戦い(注1)があった年。

その前年、1569年(永禄12年)は、武田信玄が小田原攻めの帰り、寒川神社へ参拝し、信玄芝原で兵を休めた年。

 

この宝篋印塔は、車地蔵を建立した、大森(菊地)泰次(やすつぐ)(注2)の妻の墓です。

裏面に「本姓大森 菊地下総守 藤原泰定 母」と掘られています。

泰定は泰次の子であり、「泰定 母」とは、すなわち、泰次の妻です。

泰次41歳、泰定14歳の時でした。

 

泰次が、泰定の母の墓があった場所へ車地蔵堂を建てるに至った経緯は、

次の通りです。

 

泰次の家来に秋元金平がいました(「家老」という説があります)。

金平は忠君に励んでいましたが、子に恵まれませんでした。

不憫に思った泰次は、わが子菊之丞を世継ぎとして金平に与え、同時に田畑を分け与えました。(注3)

金平は感謝し、一層忠君に励むと共に、菊之丞の無病息災を熱心に祈りました。

金平は泰次に車地蔵の建立を願いでました。

そこで、泰定は、1597年(慶長2年)、泰定の母の墓所へ車地蔵を作らせました。(注5)

泰定の母が亡くなってから27年後、泰次68歳の時のことです。

 

1597年(慶長2年)は、慶長の役(注4)があった年。

翌1598年(慶長3年) 豊臣秀吉が死に、

秀吉の時代から家康の時代へ移り変わろうとしていた時でした。

 

車地蔵を作ったのは、車に乗った地蔵をお祈りする人には、

自分の子(菊之丞) や孫の時代に、幸せが車に乗ってやってくる、

という、「三界ハ輪廻(りんね)ノ如し」という仏教の教えに従ったものでしょう。

 

金平は、車地蔵建立後、菊之丞の無病息災、無事成長を日夜地蔵に祈り続けました。

すると、地蔵のご利益か、金平の妻にも珠のような赤子が授かりました。

この話が村々に伝わり「子育て、子作り、あるいは安産地蔵」として、

様々な願いをこめる女達が24日を縁日と定め、今も地蔵信仰を続けています。

 

相模国高座郡南部地蔵24札所の内、第10番札所

ご詠歌 「住みはてぬ 浮き世は憂(う)しと お車の 巡りて救う 誓い嬉しき」 

 

明治の初め頃、お堂が朽ち果ててしまったため、車地蔵は日向薬師へ移管されました。

しかし、1894年(明治27年)、日向薬師の宝城坊庫裡の火災により車地蔵も焼失してしまいました。

その後、1936年(昭和11年)に車地蔵が再建されました。


注1:姉川の戦い

近江の国、姉川流域で行われた織田信長軍と浅井長政軍との合戦。

浅井長政はNHK大河ドラマ「江(ごう)~姫たちの戦国~」の父親。


注2:大森(菊地)泰次(1529~1610)

明応4年(1495) 北条早雲に奪われるまで小田原城主だった大森家の末裔。

北条方に知れるのを避けるため、母方の菊地姓を名乗った。

1596年(文禄5年 67歳の時) 小田原の文賀を招き、生往寺を開創。

生往寺に菊地泰次の墓がある。


注3:菊之丞

「寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)」によれば、

泰次には泰定、重俊(しげとし)の2人の子がいた。

菊之丞は、このいずれでもないと思われる。

生往寺に2基の宝篋印塔がある。

泰次の墓と泰定の継母(円鏡院殿生誉妙西大姉)の墓である。

いずれも1610年(慶長15年)に建てられている。

この「泰定の継母」が菊之丞の母ではないかと思われる。


『寛政重修諸家譜』(かんせいちょうしゅうしょかふ)は、

寛政年間(1789年-1801年)に江戸幕府が編修した系譜集である。

1,530巻。文化9年(1812年)に完成した。


注4:慶長の役

豊臣秀吉の朝鮮侵略戦争

注5:慶長二年(1597)三月

菊地下総守家分地につき証文

菊地下総守家老

秋元金平

右当家之老臣にして功あり、惜哉金平無子、

依之異姓分地之約を為し拙家之長子菊之丞を以養子と成す、金平志願の如く供に車地蔵尊堂宇共建立せしむ、則分地田面左之通

(以下略)

出典:寒川町史 10 別編 寺院

...

・分け与えた田畑は一之宮にあり、車地蔵から遠からぬところであったと思われる。


[出典・参考資料]

・寒川町史 10 別編 寺院 平成9年11月1日発行

・寒川町史 11 別編 美術工芸 1992年発行

・寒川町史 13 別編 事典・年表 平成14年3月31日発行

・寒川町史 調査報告書 9 -近現代の石造物- 平成11年3月31日発行 寒川町史編集委員会 編集

・寒川の文化財 寒川町教育委員会 平成14年3月発行

・さむ川 その昔を語る 第3集 寒川町郷土研究会編 昭和56年3月1日

・相模国高座郡南部地蔵24札所巡り 池田銟七 平成3年 (分類-387)

・新訂 寛政重修諸家譜 第11 昭和40年5月30日発行 p320